★ 【神隠し温泉ツアー】月渡る森の記憶 ★
<オープニング>

「『迷泉楼』――、ここですね」
 柊市長は、その建物を見上げる。
 古々しい、東北地方の古民家を思わせる日本家屋であった。入口に掲げられた木の看板に、古風な書体で、右から左へその名が書かれてあった。
 それは市長が――いや、今はプライベートであるから柊敏史と呼ぼう――彼が久々にとった休暇の日であった。
 そのつもりはなかったが、周囲が、ここ最近の一連の出来事で、彼の顔色がいっそうすぐれなくなってきたのを慮って、半ば強制的にとらされた休暇だった。よい部下をもったことを、彼は感謝する。
 そしてそこ……「岳夜谷(がくやだに)温泉郷」は、杵間連山中にひっそりと拓けた温泉地であり、銀幕市の奥座敷と呼ばれる知るひとぞ知るひなびた観光地であった。正直、観光地としてはあまり流行っているとはいえないようで、人出は静かであったが、それが今の彼には心地いい。今日はリオネも家政婦とミダスに(!)任せ、バッグひとつを手に持って、気ままな一人旅だ。
 久々に、浮き立つ気持ちを胸に、彼は、その旅館の門をくぐった。
「予約していた柊ですが」
「いらっしゃいませ」
 和服の女将らしき女があらわれて、にこやかに、彼を迎える。
 艶やかな黒髪と抜けるような白い肌――楚々とした所作が控えめでありながらどこか艶めいた風情を醸し出す女だった。
 緋色の唇が、笑みをつくった。
「ようこそ『迷泉楼』へ――」

 ★ ★ ★

『おかけになった電話は、電波の届かない地域におられるか、電源が入っていないため……』
「つながらないな」
 小首をかしげて、電話を切る。まあ、いいか、様子を聞こうと思っただけで、用があるわけでなし。植村直紀は、携帯をしまって、パソコンに向きなおった。
「植村さん、岳夜谷に大きな温泉宿のムービーハザードができたの、ご存じでしたか」
 ――と、灰田が話しかけてきたので、それに応えて口を開く。
「ええ、知ってます。『神獣の森』から温泉の湧く森が出てきたんですよね。それで、いっしょにあらわれたムービースターの方が営んでいるとか。評判いいそうじゃないですか。これで岳夜谷のほうも活性化するといいですよね。そうそう、それで、ちょうど今――」
「その温泉宿なんですけど、ちょっと気になる話を聞いたんです。ここ数日――」
 植村と灰田の次のセリフは、ほぼ同時に発せられた。

「市長におすすめして、休暇で出かけておられるんですよ」
「その宿に泊まったひとたちで行方知れずになる人がいるらしくって」

「え」
「……市長が、その宿に?」
 眉根を寄せる灰田汐。彼女の目の前で、植村の顔色が変わっていった。
「あの……植村さん?」
「ええと……胃薬の買い置き、あと何箱ありましたっけ……?」


「……と、いうわけで、対策課主催で岳夜谷温泉郷へのツアーを企画しました。どうぞごゆっくり、温泉を楽しんできてください」
 満面の笑みで、植村は市役所を訪れた人々に、強引に「旅のしおり」を手渡していく。
「旅行のついでにですね、先に現地入りされているはずの市長を探し出して無事を確保――いや、あの、挨拶でもしてきてもらえると嬉しいなーと思います。よい報告、お待ちしておりますので」

 ★ ★ ★

 本田流星が、「百の神泉」を訪れる羽目になったのは、全然まったくまるっきり、自分の希望ではなかった。
 銀幕ベイサイドホテル総料理長の職にある彼だが、そもそも、ここ3日間はオフである。ムービーハザードな温泉に出向いたところでくつろげなさそうな予感はしていたし、友人の植村も行く予定はないと聞いていたので、馴染みの居酒屋で秋の新酒を酌み交わしたり、実家へ戻って愛犬のペスと遊んだりするつもりだったのだ。
 ……それなのに。
「温泉ですって? 楽しそうね。ホテルのスパにも飽きてきたところだったのよ」
 気まぐれなSAYURI様がそう仰られ、なおかつ。
「ついてきて、流星」
「……は? ぼくがですか? それはまたどうして」
「旅館の料理がわたしの口に合わないかも知れないでしょう? それにわたし、荷物が多いの」
 万一のためのお抱えシェフ兼荷物持ちとして、同行命令が下ったのである。
 SAYURIから三歩下がって支配人が涙目で伏し拝んでいるし、とても断れない。
 そんなこんなで、つまりなし崩しに、大女優と総料理長は「迷泉楼」に足を踏み入れ――

「いいところじゃない。気に入ったわ。顔見知りのひとたちも、たくさん来ているようね――あら、ごきげんよう」
 ゴージャスな大荷物をVIP用に整えられた部屋に運び終わり、肩で息をしている流星を引っ張って、SAYURIは、ロビー横の茶屋風ラウンジで優雅にお茶を飲んでいた。ふたりに気づいて声を掛けてくる湯治客に、上機嫌で微笑み返す。
「わぁ、SAYURIさん、デートですか?」
「よっ、総料理長! 童顔のくせして隅に置けないね」
 既に疲れ果てている流星は、椅子の背もたれを枕に、くたりとなった。
「どうも……。皆さん、楽しそうでなによりです……」
 広大な宿には、和風のロビーがいくつも設けられている。
 無数にある温泉は、当然ながら男湯と女湯に分かれており、湯上がりの待ち合わせ場所として機能させるためらしい。
 あちらこちらで友人同士は合流し、また、思わぬ知己を見つけたりなどして、ロビーではにぎやかな挨拶が飛び交っていた。
 柔らかな湯の香が漂う中、只でさえ粒ぞろいの男っぷりを誇る銀幕市の男性陣は、洗い髪に浴衣姿という、いっそう水際だった風情を見せているし、かたや、可憐な少女や華やかな美女たちは、匂い立つようなうなじに後れ毛をはらりとこぼし、むきたての桃もかなわぬ頬を輝かせて談笑しているのだった。

 ――突然。
 そんな心浮き立つ喧噪は、ひとりの青年が現れたことにより、水を打ったように静まり返った。

「ここは……どこだ? どこなんだ……?」

 焦点の合わぬ眼と、おぼつかぬ足取り。
 年の頃は20代半ばだろうか。本来ならばさわやかな印象を与えるだろう顔立ちは憔悴に落ち窪み、尋常でない事態に巻き込まれた者特有の、激しい動揺が見て取れる。
 あまり水気を切っていない髪は、額と頬に張りつき、羽織っただけの浴衣もはだけていた。
「うわ。ちょっと、あんた。前! 前! そんな格好で人前に出ちゃだめだって」
 子犬を抱え、男湯の暖簾から駆け出してきた少年が、浴衣の前を合わせ帯を締め直してやっている。
 14、5くらいの、頬の線にあどけなさを残した少年は、しかし単に居合わせただけのようで、青年の連れというわけではないらしい。いったん足もとに降ろされた子犬は、風呂上がりと思われる濡れた毛並みを震わせて、所在なさげに、くぅ〜んと鳴く。
「あんた、名前は? 誰かと一緒に来てるのか?」
「私……わたしは」
「うん?」
「……わからない。思い出せない。……何も」

 青年はどうやら、記憶喪失状態のようだった。
 その場にいたひとびとが口々に話しかけても、力なく首を横に振るばかり。
 
 流星は、青年を気にしながらも、少年と子犬を見て眼を丸くしていた。
 なぜなら、その少年はよく知っている男の面差しを持っていたし、子犬はといえば――
「源内さんじゃないですか! それに、ペス!」
 そう叫んだとたん、ロビー中がざわついたが、かまわずに子犬に駆け寄って抱き上げる。
「ペス? ペスだね? いつの間にここへ」
「く〜ん。きゅぅぅぅん……」
「駄目じゃないか。女の子なのに男湯から出てくるなんて。そんな犬に育てた覚えはないよ」
「くぅ〜ん! きゅうん! わんっ!」
 ちがうもん、ばかばか! りゅうせいがあたしをおいてくからいけないんだもん。がんばっておいかけたけどまよっちゃって、おんせんにおっこちてこんなになっちゃって、そしたらげんないがたすけてくれたんだもん――とでも言いたげに、子犬は小さな手足をばたばたさせる。
「……流星。問題はそこじゃなくてな」
「そうですよ、問題はそこじゃないんです。源内さん、ペスと混浴したんですねっ? なんてふしだらな!」
「あのなあ。ペスや俺の姿を見て、何か気づかないか」
「そういえばどちらも、無駄に若返ってますね。このひととも、同じ温泉で一緒だったんですか?」
「いや、どうだろう。湯気でよくわからなかったが……。俺が気づいて追いかけたのは、ロビーに向かう通路を浴衣はだけてふらふら歩いてたときだったんでな」
「……なんてこと……」
 いきなり、SAYURIは立ち上がった。
 かたん……! 九谷五彩のティーカップが横倒しになった。みるみるうちに、飲みかけの紅茶が刺し子絞りのテーブルクロスに染みこんでいく。
 だがSAYURIは気にするでもなく、青年の横顔を食い入るように見つめている。
 大輪のカトレアのような美貌は、蒼白だった。
「SAYURIさん?」
「――女将はどこ?」
「新しく訪れた客人を出迎えに、門のほうへ行かれたようですが、あの、SAYURIさん?」
 困惑する流星をよそに、SAYURIはしなやかな髪を靡かせ、やにわに駆け出した。
 よほど慌てていたのか、真紅のハイヒールを片方、その場に残して。

 そしてSAYURIは――戻ってこなかった。
 彼女までもが神隠しにあったかのように、消息を絶ったのである。

 ★ ★ ★

「まあ……。人聞きのわるいこと。わたくしは何も存じませんわ。ええ、それは、SAYURI様は確かに、とてもお急ぎのご様子で、わたくしに仰いましたけれど。『長靴と軍手を貸して頂戴』と。……はい、何か事情がおありのようでしたので、すぐにご用意いたしました。そうしたらその足で、森の奧へ行かれたようで……それっきりでございます。……は? 記憶をなくされたお客様がいらっしゃる? それにつきましては……温泉の効果には思いも寄らぬものがございますので何とも……」
『対策課』からの依頼に慣れている湯治客たちは、こいつ怪しい、と睨んだ女将に聞き込みをしてみた。
 しかし、得られた情報はといえば。
 SAYURIは、自分の意思で森の中へ分け入ったらしいこと。
 なぜか「長靴」と「軍手」を持参したこと。
 そして、青年が記憶を失ってしまった理由は、「記憶喪失効果のある温泉」に入ったのが原因であること。
 ――それだけだった。

 今まで幾多もの事件を解決してきたひとびとは、手をこまねいて顔を見合わせる。

 大女優は謎の装備を携えて、神獣の森へと姿を消した。
 ロビーの片隅では、記憶をなくした青年が、頭を抱えてうずくまっている。

種別名シナリオ 管理番号301
クリエイター神無月まりばな(wwyt8985)
クリエイターコメントイベントなので、神無月、参上っ(迷惑)。なんか最初っからカオスですみません。
居合わせてしまった皆様には申し訳ありませんが、

 1)記憶喪失の青年に対して、回復へのアプローチをしてみる。
 2)姿を消したSAYURIを探しに森の奧へ行ってみる。
   ※この場合、神獣と戦闘の可能性があるかも知れません。
 3)とりあえず自分も温泉に入ってみる(自己責任でお願いしますねー)。

などなどを、よろしくなのでございます。これ以外の行動も、ご自由にどうぞです。
無駄に若返った源内と子犬化したペス殿は、むしろこのままのほうが安全(…)かも。

なお、温泉による効果には、源内の発明品はあんまし効きません。
スーパー『まるぎん』から特殊野菜を仕入れることも、今回は不可能です。
※珊瑚姫は温泉には出向かず、柊邸でお留守番しております。まっとうな(たぶん)家政婦さんを補佐すべく、臨時メイドとしてリオネやぎっしーの面倒を見たり、庭いじり中のミダスに余計なちょっかい出して怒られてると思われ。

それでは「迷泉楼」にて。
女将より三歩下がって、皆様のおいでをお待ちしております(三つ指)。

参加者
ファーマ・シスト(cerh7789) ムービースター 女 16歳 魔法薬師
リゲイル・ジブリール(crxf2442) ムービーファン 女 15歳 お嬢様
シャノン・ヴォルムス(chnc2161) ムービースター 男 24歳 ヴァンパイアハンター
太助(czyt9111) ムービースター 男 10歳 タヌキ少年
クレイ・ブランハム(ccae1999) ムービースター 男 32歳 不死身の錬金術師
西村(cvny1597) ムービースター 女 25歳 おしまいを告げるひと
<ノベル>

ACT.1★探偵は温泉に集う
 
 星のまばらな夜空に、魔物の爪のような鋭い三日月が浮かぶ。露天風呂から伺うかぎりでは、古代の森は静謐な静けさを保っている。
 迷泉楼が夜のとばりに包まれても、灯りで照らされたロビーには往来が絶えない。
 奇妙な事態に遭遇することになったものたちは、それぞれの思惑を秘め、集まってきた。
「対策課がツアーを主催するなんて、もともと胡散臭い気はしたんだがな。どうやら勘は外れてなかったようだ」
 布張りのソファに腰を下ろしたシャノン・ヴォルムスは、もう浴衣姿ではなかった。
 黒いスーツと黒いスラックス、胸に十字架のネックレスをつけた、彼をよく知るものには馴染み深いいでたちである。
「取りあえず俺は、姿を消したSAYURIを追うことにしよう。森へ行った理由は不明だが、一刻も早く捜さんとまずい気がする」
 愛用のFN Five-seveNに弾を込めているのは、有事を予測したためか。ヴォルムス・セキュリティの社長は、すでに難物の依頼を請け負ったときの顔になっている。
 そのすぐ隣で、クレイ・グランハムが何故かげっそりと意気消沈していた。
 この、赤毛で癖っ毛な錬金術師は、温泉に来たというのにず〜っと白衣のまま通しているという、通なポリシーの持ち主であった。迷泉楼をふらりと訪れてみたクレイだったが、しかし、初めての温泉を彼なりに楽しみにはしていたのだ。携帯している武器がレイピアのみなのはそれ故である。
 唯一の武器を膝に乗せ、クレイはうなだれる。
「今のシャノンは大層格好良いのだが……。あの癖は何とかならぬものか……」
 SAYURIが行方不明になる前のことだ。到着するなり温泉に入ろうとしたクレイは、同じようにやってきたシャノンと遭遇したのである。そして……天然ハグ攻撃を受けたのだ。
「抱きつき癖があるのは、まあ、一万歩譲ってよいとしよう。しかし、何も出会い頭の挨拶代わりに、男湯の脱衣場でそれを発揮しなくともよかろうに……」
 ぼやくクレイに、源内がうんうんと肯く。
「だよな。俺もそれやられた。不覚にもちょっとどきっとしたぞ。少しは考えてほしいよな」
「何のことを言っているのか、少しもわからんが?」
 シャノンは平然と涼しげな横顔を見せている。恨めしそうに見つめるクレイと源内を全然気にしていない。
「まあまあ、ゲンナイさま。すっかり若々しくなられて」
 ファーマ・シストが、おっとりと歩み寄ってきた。温泉から出てきた直後らしく、洗いたての髪をアップにまとめ、迷泉楼のロゴ入り浴衣を着た姿には、えもいわれぬ色香が漂っている。
 しかも片手に試験管、片手に温泉水入りのビーカーを持ち、極めつけに、何故かネコ耳をふこっと生やしていたりする。マニアな殿方にはたまらなく魅惑的な登場ぶりであった。
「ここの温泉は、どれもこれも特殊な効果を有してますのね。とても興味深いですわ。研究のし甲斐がありますわ♪」
 マニアどころか女性全般が苦手なクレイは、反射的に席を立ってずさささっと後ずさり、広範なマニアっ気のある源内がファーマの肩にそっと手を掛ける。
「これはこれは、俺の愛しい薬師。そのネコ耳は猫好きな俺に見せるためかい?」
「そういうわけでは……。わたくし、どうやら『けも耳効果のある温泉』に入ってしまったようですの。でも、何事も経験ですし、この際サンプルを採取して成分を分析し、有効な薬を調合しようと……ゲンナイさま」
「なんだい?」
「はい、あーん」
「あーん?」
 うっかり、「あーん」と口を開けてしまった源内は、試験管の中身を飲まされてしまった。
 ――と。
 ぴょこっ、ぴょこん。
 真っ白のうさ耳が、源内の頭に出現する。
「……まあ。『ケモミミナオール』試作品は、まだ副作用がありますわねぇ……。実験台になっていただき、ありがとうございます」
 悪びれもせず小首を傾げるファーマに、源内はうさ耳を片方引っ張りながら、遠い目をした。
「は、ははは……。ファーマは研究熱心だな。ミスコン会場だろうと戦場だろうと温泉だろうと、鋼鉄のマイペースを貫く君が眩しいよ」
「あら、ゲンナイさまったらお上手。そういえば、温泉に入って記憶喪失になられたかたもいらっしゃるそうですわね。わたくし、記憶を取り戻す薬も調合してみようと思いますの」
「そうか。頑張ってくれ。きっと君なら出来る――と思う」
「おいっ。うさ耳はやしてナンパしても愉快なだけだぞ、源内しょーねん」
 とことこ走ってきた太助が、ひょいとジャンプして源内の肩に乗っかった。
 子ダヌキの身体に合うよう丁重に仕立てられた浴衣には、迷泉楼のロゴが入っていない。おそらくはおばあちゃんの心づくしの手作りなのだろう。
「よう太助。ノーマン少尉殺人事件のほうは、無事解決したようだな」
「少尉、死んでねーよ! それより、ミヒャエル王子が怒ってカエルキックをかます前に、ファーマからはなれろ。な?」
 ファーマの同行者であるところの、トンボ羽根つきカエルを指して、太助は忠告する。
 が、特に気にしないで物珍しそうにあちこち見回していたミヒャエルは、いきなり話を振られて「ケロ? ケロローン?(訳:え? え? そうなの?)」ときょときょとしている。
「皆さー、ん、こちら…にいら、っしゃい…まし、た…か」
 繊細な鈴をしゃらんと鳴らすような、澄んだ儚い声とともに、西村はいつの間にかロビーに現れていた。
 迷泉楼では数種類の浴衣を部屋に用意してあるのだが、西村がチョイスしたのは、黒地に白抜きの筆文字で『神獣万歳』と書かれた迫力あるデザインであった。……妙によく似合っている。
 肩に止まった鴉は、主の浴衣姿に悩殺ノックダウン状態で、すでにヘロヘロであった。
「か、カァァ……!(訳:あ、主……。なんと美しい素晴らしい。俺はもう思い残すことは……いやあるが。ありまくりだが!)」
「まあ、ニシムラさま。温泉でお会い出来るなんて、奇遇ですわね」
「は、…い。社員…旅行…なん、です」
 聞けば、西村のバイト先の店長が無駄に太っ腹で、秋の社員旅行は岳夜谷温泉郷だ、おー! とぶちあげ、誘われて来たのだそうだ。費用はもちろん店長持ちである。
「温泉…リゾート、なんて……贅沢、うれー、しい…ね、鴉…くん」
「カァー。カッ、カァァー(訳:くっ、泣いてはいけません、主。良かったですね、ううう)」
 今日は何となく反撃が少ないかも知れないとみた源内は、命知らずにも、鴉の止まってないほうの肩に手を置いた。
「久しぶりだね、俺の麗しき死神。逢いたかったよ」
 しかし西村は、少年化したうさ耳源内を見てきょとんとしている。
「どちら…さま……で、しょう…か?」
「そんな王道のお約束的反応を外さない君が、また魅力的だ」
「えー……、と。お約束、は…して、ません…けど……?」
 妙な少年のあるじへのアプローチに、鴉は俄然しゃきーん! と、戦闘モードになった。
「ガガガァァァーー! グアァ、カアー!(訳:図々しい小僧め! 主から離れろ! こいつめこいつめこいつめ!)」
「おうわぁ! 痛い痛い痛い」
 鴉からざくざくとつつき回されながら、源内は懲りずにロビーの入口を見やる。
「お、あそこで流星に話しかけてるのは、我らがレッド、リガじゃないか。おーい、リガー! 俺の可愛いお嬢……ぐふっ」
「やめとけつってんだろ」
 あきれ果てた太助のタヌキックが、源内の腹に炸裂する。
「源内のセクハラは今に始まったこっちゃないけど、なんかいつもより暴走度が激しくね?」
「思春期なもんでなぁ」
「いいかげんにしないと、ここにいない誰かの二丁けんじゅうで腹に風穴開けられっぞ?」

 リゲイル・ジプリールは、白熱した卓球大会を終え、温泉で汗を流したばかりであった。
 何やら騒がしいロビーの雰囲気に小首を傾げながらも、定宿のホテルの総料理長を見つけ、声を掛ける。
「こんにちは、本田さん」
「これはリゲイルさん。あなたもこちらに?」
「そうなの。ついさっきまで、レンコンでポップコーンで殺パンな事件に巻き込まれてて……。わあ、グレーハウンドの子犬。可愛い! 本田さんの?」
「はい、ペスと言います」
「初めまして、ペスちゃん。……あら、でも、『本田さんちのペス殿』ってたしか……」
 流星が抱きかかえている子犬とはかけ離れた、何かこう、ものっそスペクタクルな噂を聞いたことがあるのだが、純真なお嬢様は深く追求はしなかった。
「……いいわね、大好きなご主人様と一緒で。本田さんは、どうしてここに?」
「あはは。SAYURIさんの荷物持ちと言いますか、お抱えコックと言いますか、まあいろいろございまして」
「じゃあ、ここでも本田さんのご飯が食べられるのね? うれしい」
 頭を掻く流星に、リゲイルはぺこりと頭を下げる。
「いつも美味しいご飯をありがとうございます。わたし、お肉とか苦手だから、野菜中心のメニューにアレンジしてくれて」
「リゲイルさんは綺麗に食べてくださるので、つくりがいがありますよ。こちらこそ、ありがとうございます」
「護衛をしてくれてるお友達も、本田さんが厨房で作ってくれるまかないが大好きだって言ってました」
「それは何よりのお言葉ですね。料理人冥利に尽きます」
「SAYURIさんはどこですか? お部屋? ご挨拶したいな」
「それがですね……」
 流星は天井を見上げ、ため息をひとつつく。
 そして、事情を説明がてら、緊張感がありそでなさそな一同のもとへ誘導するのだった。
 
ACT.2-a★森を探して

「じゃあシャノンさんは、SAYURIさんを探しに行くつもりなのね?」
 ひとしきり皆の話を聞いた後で、リゲイルは考え込む。
「ああ。その前に、俺も長靴と軍手を借りていこうと思ってる」
 いったん拳銃をしまい込んで、シャノンは立ち上がった。
「本人に聞いてみないと何とも言えないが、SAYURIは何らかの捜し物でもあるように思える。おそらくは、森の奧に」
「そうだな。長靴と軍手というからには、森へ分け入る心づもりが見受けられる」
 私も森を調べに行くことにしよう。レイピアを持ち直したクレイだが、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「ま、万一、SAYURIを見つけたとしても、距離を取っていれば安全(?)だろう。そう、3mほど。いや、あんな華やかな美女なら10mは必要かも知れぬが」
 ……女性恐怖症を押してまでもSAYURIを探そうとする、クレイ・ブランハム外見年齢32歳。悲壮な覚悟である。
「わたし、SAYURIさんは、あの男の人の記憶を取り戻すために、森へ行ったような気がするの」
 ロビーの隅にある椅子に座ったままの、記憶喪失の青年を伺い、リゲイルは呟く。
「わたしも力になりたいな。長靴と軍手を借りてSAYURIさんを追いかけよう。そうしよう! だって、記憶を失った原因には目星がついたんだもの、たった今!」
 少尉のところで使用した鳥打ち帽をどこからともなく取りだして頭に乗せ、リゲイルは断言した。
 が、その袖をちょいちょいと太助が引っ張る。
「あのな、お嬢。原因なら、もうわかってんだ。記憶喪失になっちまう温泉に入ったせい……」
「あまりにも怖いものを見ると、ショックで記憶をなくすって聞いたことがあるわ! だから、記憶が飛ぶほど恐ろしいものを見たのよきっと。猿の神獣かも知れない。下着泥棒の!」
 決して勘は悪くないのに、思考回路と結論が凡人の追随を許さぬほどハイパーなお嬢様は、自信たっぷりに拳を握りしめた。
「えっちな猿なら平気。いちどみんなでやっつけたし。昆虫系や蛙系の神獣だとちょっと困るけど」
「いやぁ、ちがうと思うぞぉ〜? ……ん? 『そうりょうりちょう』の、その犬」
 太助はようやく、流星が抱いている子犬に気づき、というか、ばしっと目が合い、狼狽えた。
「ぎゃああああ! ペス殿! すっげーぷりてぃだけどペス殿! なんで? なんでここに?」
「きゅうん? くぅぅん……(訳:あらこのこ、みおぼえがある。しゅりょうほんのうをしげきする『ちっちゃいもの』のひとりだわ。あたしの『えもの』だわ……)」
「な、なるほど、お嬢のいうとおりだ。これは森出身の俺のでばんだな! SAYURIっちをおっかけて森へいこうそうしよう」
「わかってくれたのね。さあ、行きましょう!」
 尻尾をぶわっと膨らませ、ペス殿の脅威におののいている太助を抱え、リゲイルはそのまま先頭切って森に駆け出しそうとした。ちなみにまだ浴衣姿のままである。
 いったん席を外していた西村が、大量の長靴と軍手を両手いっぱいに持ち、戻ってきたのはそのときだった。
「女将、さんに…借りー、て、きま…した。森…に行く、皆さ、ん…の分も」
 西村もまた、SARURIを探す心づもりだと言う。
「見つけ…たら、聞きー、たいこと…がたくさ、ん、あります。だ…から、追いかけ…ます」
 
ACT.2-b★記憶を探して

 ――そして。
 シャノン、クレイ、リゲイル、太助、西村は森に行き、ファーマは残って、薬の調合に専念することにした。今回(というかいつも)、あまり役に立たない源内は、ファーマの実験助手兼実験台兼パシリである。
「すみませんがゲンナイさま。けも耳温泉と若返り温泉と記憶喪失温泉をハシゴいただいて、このビーカーにサンプルを採取してきてくださいませんか?」
「ファーマの頼みなら何でも、と言いたいところだが。メインは記憶喪失だろ? なんで、けも耳と若返りを一緒に研究する必要があるんだ?」
「そこに研究対象があるからですわ」
 一点の曇りもない、すがすがしい研究者魂に打ちのめされ、源内は肩を落としながらも、温泉水を採取して回った。
 けも耳温泉と若返り温泉には、それと知らず入っているものが何人もいて、あちらこちらで阿鼻叫喚が沸き起こっている。さすがに記憶喪失温泉には【只今水質調査中:記憶を無くしたくないかたはご遠慮下さい】との注意書きが貼られていたが。
 集められた各種温泉の成分を、ひとつずつ分析しながら、ファーマはふと考える。
(たしか、市長さまも先にこちらにいらしていると、ナオキさまは仰っていましたけど……。お見かけしませんわね?)

 広くて使い勝手のいいロビーを臨時実験室にしているファーマのかたわらには、記憶喪失の青年に付き添うことにした流星と、ホントはあるじと一緒に森に行こうとして、
「この人ー、の…傍に…居て、あげて。記憶、をなく…して、とても…心細、い…だろう…から、お願い」
 と言われ、仕方なく残った鴉が、手持ちぶさたのまま並んで座っていた。
「くぅぅ〜ん。きゅうん。わん!(訳:ねえ〜、りゅうせい。ひまだよう。あそんでよう)」
「ごめんね、ペス。あとでね。……あの、まだ何も思い出せませんか?」
 青年は、今はかなり落ち着いた様子で、しかし、ゆっくりと首を横に振る。
「ええ……。申し訳ありません。皆さんにご迷惑をかけてしまって」
 その静かな声音に聞き覚えがあるような気がして、流星は自分の記憶を探りかけた。が、子犬の鳴き声に遮られる。
「わん! きゅうん!(訳:なによ、りゅうせいのばか! かまってくれないと、うわきしちゃうから!)」
 じゃれかかっても相手にしてくれない流星に腹を立て、とうとうペスは火遊びに走ってしまった。
 つまり、手近にいた鴉にちょっかいをかけたのである。
「くんくん。きゅうん? かぷっ(訳:あんた、ふつうのからすより、おっきくていいかんじね。かぷっ)」
「ガがカァー! グガ、ァァァー!(訳:ちょっと待ちやがれこの駄犬がァ! 囓るな食うなこらぁぁ!)」
 その様子に、流星は微笑んだ。
「……そうか、ペス。鴉くんが気にいったんだね。お友達ができて良かったね。ペスは少し内気なところがあるから、いつも心配してるんだよ」
「カァァー。クワッ、カアア!(訳:おいこらそこの飼い主。結構ピンチなこの状況を何とも思わんのかぁぁ! つか内気って何の冗談だ)」
「聞いてくれるかい、鴉くん。ペスは、貰ってきた当初は身体の弱い子でね……。しょっちゅう病気をしては、『あまのがわ動物病院』にお世話になったんだ。でも今は、天之川先生のおかげでこんなに元気になって。基本の性格は内気で引っ込み思案なんだけど、ちょっとやんちゃなおてんば娘の気質も垣間見れるようになってね。そういう意外性がまた可愛いっていうか……」
「カ、カァ! カァァーー(訳:そんな飼い主馬鹿全開語りをえんえんと聞いてる間に、おおおおお、頭がもう口の中にいいいいいー)」
「仲良くしてもらうんだよ? 鴉くん、ふつつかな娘だけど宜しくね」
「か、カァァァァー!!!(訳:花嫁の父みたいなこと言うなぁぁー!)」
「何まずそうなもの食ってんだペス。やめとけ。丸飲みは腹壊すぞ」
 気づいた源内が、よいせっと引っぺがす。
「カ……。カ、カァァ!(訳:ふう、助かった。……ええい、やはり俺は主のところに行くぞぉ!)
 何とかペス殿のおやつにならずに済んだ鴉は、一目散に森に向かうのだった。

 そんな騒ぎに集中力を微塵も乱されることなく、サンプルの分析を終えたファーマは、薬の調合に取りかかり、やがて。
「できましたわ! わたくしの自信作『キオクガモドリマッスル∞』が」
 そしてようやく、ファーマは、青年の顔をしみじみと見る。
「あの……? どこかで、お会いしたことがありましたかしら?」

ACT.3-a★月渡る森にて
 
 密集した木の葉が、結界のように夜空を覆っている。隠しきれない隙間から、月光が降りこぼれる。
 ――ざわり。
 森全体が意思を持った生き物のように揺れた。どこかで、フクロウが鳴いている。
 歩を進めるごとに、長靴で踏んだ跡からは、土とヨモギのかおりが混ざって立ち上ってくる。群生した野アザミが、かき分けられて紅紫色の花を重そうに揺らす。道を隠すように生い茂ったシダはまだ開きかけの、しっとりと若さを残した新緑だ。
「これはまるで、春先の森だな。銀幕市はもう師走だというのに」
 いつでもレイピアを抜けるよう、構えながらクレイは歩く。
「尋常な空気じゃない。やはり奧に何か……。おそらくは神獣がいるのではないか」
「ああ。いかにもそんな気配だ」
 シャノンは声を潜める。
「いるのよ、えっちな猿が。早く追いつかないと、SAYURIさんが大変なことになるわ」
「彼女…は、どこ、に……?」
 黒幕を猩猩だと決めてかかっているリゲイルと、ともかくもSAYURIの行方を追おうとする西村は、同じように果敢な猛進っぷりを見せていた。
 大女優の居場所にまったく見当がつかぬまま、森の探索に踏み切った5名ではあるが、手がかりはあった。
 太助の鼻である。
「こっちだ! SAYURIっちの匂いは、この草むらの奧に続いてる」
 くんくん。くんくん。
 ほのかなカトレアの残り香をかぎ分けながら、太助は皆を先導する。さすがイヌ科。
 ひとの腰ほどまであるキツネノボタンとエノコログサ、ヒメジョオンの群生地帯を、子ダヌキはものともせずに突き進み――やがて。

 草むらは不意に途切れた。広々とした野原に点在するのは、片栗の花。
 野原の中心にたった一本、厚朴の木(ほおのき)の大樹が枝を張っている。
 
 三日月は照らし出す。
 その根元に腰をおろし、眼を閉じて休んでいるひとりの女を。
 女は薄物のドレスを自ら引き裂いて、即席の手かごを作っていた。
 かごの中に溢れているのは、この森が生んだ春の山菜。
 赤コゴミ、青コゴミ、たらの芽、アケビの新芽、しおで、こしあぶら、うるい、月山筍――

「あの、女の…ひとは…」
「SAYURIっち!」
「SAYURIか」
「さっ……(硬直)」
「SAYURIさん!」

 しかし、駆け寄ろうとした一同は、突然、白い霧に包まれた。
 ざわり、ざわりと、森が揺れる。
 三日月が放つ光が鋭くなる。
 
(騒がしいこと。これだから、森のそとに棲むものたちは苦手なのよ)

 月光を吸った森の空気が結晶し、神獣のすがたを形づくる。
 現れたのは、見事な角を持つ――白い鹿だった。

(森に踏み込み、春の新芽を荒らしたこの女を、厚朴の木の糧にしてしまおうと思っていたところ。ちょうどよかった、まとめて森に埋め、滋養にしてくれるわ!)
 
 鹿は跳躍する。その角は、シャノンの喉元を狙っている。
 身をかわしたシャノンが、地に倒れながら拳銃を撃つ。クレイのレイピアの切っ先が、鹿の角を片方、えぐった。
 同時に行われたそれは、まるで打ち合わせたように絶妙なコンビネーションであったのだが――

 レイピアは、はじき飛ばされた。
 腹に銃弾を喰らい込んだというのに、鹿は平然としている。
「銃が効かない?」
「白い鹿は、深山の邪神の化身だと聞いたことがあるが……」
(邪なのは、どちらかしらね? 覚悟なさい!)
 残った片方の角で、鹿は太助を狙った。
 あえて変身せずに、何事かを考えていた子ダヌキは、
「うわっと」
 ひらりと避けついでに、ちゃっかりとその背に乗った。
(何をするの。降りなさい)
「あのさ、SAYURIも俺たちも、べつに森を荒らしにきたわけじゃないんだぞ。見りゃわかるけど、っていうか、俺たちも今わかったんだけど、山菜採りにきただけなんだって」
「そうです。温泉に入って記憶をなくしちゃった男のひとがいて、きっと、その人のためにSAYURIさんは」
(記憶ですって……?)
 訴えるリゲイルに、神獣は、皮肉めいた思念を漏らす。
(ひとが記憶をなくすのは、忘れてしまいたいから。ならば、それは恩寵に他ならないでしょう。そのままにしておあげなさい)
「んー、でもさ。いやなことを忘れたとしても、すべて無かったことにはならないだろ? 『げんじつ』はそこにあるわけだし」
 考え考え、太助は言う。
「あと、好きなやつらのこととか、忘れるのつらいしな。たとえ忘れてもまた始めればいい、って言葉もあるけどさぁ、やっぱりさびしいよ、全部すっぽ抜けるのは」
(黙りなさい! そんな説得は通じないわ)
 
 鹿が太助を振り落とそうとした、その瞬間。
 力強い羽ばたきとともに、黒い翼が宙を切り――

 カ、カアー!
 カカカ、クアアーー!
(主! 探しましたよ、随分と奧に来てたんですね。よっ、皆。ついでにお疲れ。ところでこの鹿、こんな角生やしてるからには雄だろ? なんで女言葉なんだ?)

 一同に追いついた鴉は、事情がわからぬまま鹿の角に止まった。
 そんでもって、空気読めない発言をした。

 ……鹿は思いっきり戦闘意欲を失って、(あまり長居しないでね)と言い残し、姿を消した。
 そして鴉は、皆に感謝されることになったのである。

 ★ ★ ★
 
「大丈、夫…です…か?」
 真っ先にSAYURIに駆け寄ったのは西村だった。
「あら……? あなたがた、どうなさったの?」
 よほど疲れていたのだろう。騒ぎに気づかずずっと眠っていたSAYURIは、ようやく目を開いた。
 スカーフでまとめられた髪は、草の切れ端がくっついてぼさぼさであるし、軍手をしたまま顔をこすったらしく、美しい顔はところどころ泥で汚れている。
「どうもこうも。なにやってんだよ、山菜とりに行くんなら俺にいえばいいのに」
「無事なようだし、よしとするか。本来なら、依頼料を取りたいところだが」
「………………!!!(すごい勢いで10m離れた)」
「えっちな鹿は追い払いました」
「みん、な…心配ー、した…んです、よ。なぜ…こんな、こと…を?」
 それぞれの反応に、SAYURIは無言で笑みを返しただけだった。
 立ち上がって背を向け、山菜入りの手かごを持って、なおも奧へ進もうとする。
「待っー、て…くだ、さい」
 その腕を、西村が掴んだ。
「山菜…は、あの…男のひと、のため…に、採りー、にきた、んです…よね? あのひと…は、貴方、と…どう、いう関係…が、ある…んです…か?」
 それには答えず、SAYURIは西村を、そして、太助、シャノン、クレイ、リゲイルを振り返る。
「わたしは、このとおり平気よ。皆さんの手をわずらわせるつもりはなかったから、ひとりで来たの。心配をかけたことは謝るわ。どうぞもう、帰って頂戴」
「いえ。手伝、い…ます」
 一同の気持ちを代表するかのように、西村が毅然と言う。
「これは、わたし個人の問題なの。対策課絡みというわけじゃない。依頼扱いしてくださる必要はないわ」
「手伝、い…ます。貴方、は…以前、最低、の…演技、を…続け、ている…と言いま、した。そのこと…にも、関係ーが、ありま…す、よね」
「食い下がること。こんなに可愛いのに頑固な死神さんね。貴方は優しすぎる分、辛い思いをしてきたのでしょうに」
「手伝い…ます。離れ、ま…せん」
 ふふ、仕方がないわね、と呟いて、SAYURIは、いつもの気まぐれな大女優の顔を取り戻す。
「そう、わたしは山菜を採りに来たの。理由は、わたしが、山の幸をふんだんに使った料理を急に食べたくなって、流星に作ってもらおうと思ったから。でもまだ、材料が足りなくて」
「うわ。SAYURIっち、しらじらしく話そらしやがった」
「ねえ太助」
「な、なんだ?」
「そのよく利く鼻を生かして、行者にんにくがどの辺に生えてるか、探してくれないかしら?」
「行者にんにくかぁ。よっしゃ、まかせろ!」
 太助はあっさり話を反らされたまま、勇んで山菜探索に走る。
「シャノン」
「なんだ」
「少し冷えてきたから、上着を貸して」
「構わんが、俺に頼むことはそれだけか」
「だって、何か起こったら、頼まなくても守ってくれるでしょう?」
「……ふん」
「クレーイ!」
「な、なんの用かな(10m後ろから)」
「離れててもいいから、護衛を宜しくね」
「う、うむ」
「リガさん」
「はい、何でもお手伝いしますよ?」
「半分持ってくださる?」
「はいっ!」
「……西村さん」
「なん、で…しょう、か?」
「記憶をなくしたあの青年の顔を見て、誰かを思い出さないかしら? たとえば彼が記憶喪失になるまえに、源内のように若返り温泉に入ったと仮定してみて」
「若返、った…誰か……。知って、る…ひと?」

 穏やか、かつ爽やかではあるが、どこか苦労の影が匂う横顔。
 失った過去に、悩んで困っていながらも、決して自暴自棄には走らない温厚な性格。

「あの…もしか、して」
 
 ――柊市長。

ACT.3-b★迷泉楼ロビーにて

「まあまあ、よく見れば市長さまでいらっしゃいますのね。ご挨拶が遅れまして。いつもお世話になっておりますわ♪ さあ『キオクガモドリマッスル∞』をお飲みくださいませ。たちどころに全てを思い出す……はずですわ」
「市長……? 私が……?」
 ファーマが差し出した試験管からは、七色の妖しげな煙がもわっと上っている。
 青年は――いや、柊敏史は、素直にそれを飲みほした。

ACT.4★記憶鮮明:春の森メニュー

「赤コゴミ、青コゴミ、アケビの新芽、月山筍、しおで、こしあぶら、うるい、山三つ葉、かんぞう、あまどころ、行者にんにく……。よくもまあ、これだけ採れましたね」
 森から戻ってきたSAYURIと探索組の戦利品たる豊かな山菜に、流星は目を見張る。
「皆さんが手伝ってくださったおかげよ」
 SAYURIはすでにメイクを直し、新しいドレスに着替えていた。エレガントな仕草で脚を組み替える様子は、つい先刻まで山菜探しにあけくれていた女とはとても思えない、
「……SAYURIさん。まさか、『春の森のサラダ』と『春の森のパスタ』の素材を集めるために、森に行かれたんですか?」
 山菜のラインナップに思い当たるところがあった流星は、思わずSAYURIを見た。しかしSAYURIは、ふいと視線を逸らしただけだ。
「……すみません、そんなはずないですよね。あのメニューは市長のために考案されたもので、知っているひとは限られているから」
「春、の森ー、の、サラダ…とパス、タって、なん…のこと、です…か?」
 問う西村に、流星は行者にんにくをひとつつまみ上げ、懐かしそうに言う。
「山菜を使用したイタリアン料理を好まれる市長のために、『サザンクロス』の先代シェフが考えたメニューです。ああ、『サザンクロス』というのは、ぼくが銀幕ベイサイドホテルにお世話になる前、シェフをしていたレストランで、今は別のものが切り盛りしていますが」
「市長、は…山菜…料理、がお好き……」
「『春の森のサラダ』と『春の森のパスタ』は、素材重視の、質の良い山菜が手にはいるかどうかだけが秘訣の料理でして。杵間山に自生しているものもありますが、市外から取り寄せなければならないものも多く、滅多に作れないぶん、想い出に残りやすいというのが先代の主張でしたっけ」
「想い出…に残る、メ…ニュー。それ…を食べた、ら、記憶…が、戻る…きっか、けー、になる…と…思ったん…です、ね」
「だれのためでもないわ。わたしは自分が食べたいから採ってきたの。それだけよ」
 ぱんとテーブルを叩き、SAYURIはそっぽを向いた。
「いつまで待たせるつもりなの、流星。さっさと作って頂戴」
「かしこまりました。では、厨房をお借りすることにしましょう。SAYURIさんのために」
 苦笑しながら、流星は立ち上がる。
「幸い、材料はたくさんありますので、ここにいらっしゃる皆さんの分と――そして柊市長の分も作らせていただいてよろしいですね?」

 ★ ★ ★

『キオクガモドリマッスル∞』は、部分的に効いていた。すなわち柊敏史は、銀幕市に魔法が掛かる以前の記憶だけを取り戻したのである。
 それはこの状況下の彼にとっては、全て忘れていたときよりもわけのわからないカオスだった。
(ここはどこだ。何でSAYURIがここにいるんだ。あの普通じゃないひとたちや動物たちは何者だ。いったい、銀幕市に何が起こったんだ……!)
 青年の外見のまま、市長は苦悩する。ファーマの試薬のお約束な副作用として、彼の頭にもうさ耳が出現していたが、そんなことはさしたる問題ではないほどに。

 焼き山菜の盛り合わせを、山菜のジェノヴェーゼ風ソースに添えた『春の森のサラダ』。
 取れたての山菜をざくざくと切り、ベーコン、トマト、マッシュルームを加えてオリーブオイルで炒め、山菜の風味に負けないイカスミのパスタを合わせた『春の森のパスタ』。

 食堂で饗された山菜料理を食べて、やっと市長は全てを思い出す。
 この温泉宿には、休暇で訪れたことを。
 そして休暇が終わったら、帰らねばならぬことを。

 彼にとっての戦場――市役所へ。


  
ACT.Special ★突発! 男女対抗温泉卓球大会

「植村さんの口車に乗せられてツアーに参加した、銀幕市の皆さんこんにちは! 七瀬灯里です」
「常木梨奈です。あたしも温泉に入ったらネコ耳生えちゃいました。でも気にしません」
「ええっと。市長がいろいろ大変だったみたいで取材にきたら、なんか一件落着だからみんなで温泉卓球をやろってことになって」
「男女対抗だからって、数合わせに、なし崩しにメンバーに入れられたんですよね」
「メンバー一覧はごらんのとおりです。シャノンさんが紳士チームのキャプテンなのは皆からの推薦、SAYURIさんが淑女チームのキャプテンなのは、温泉卓球が珍しくて面白がって立候補したからです」
「SAYURIさんてスタントなしでアクションできちゃうそうですから強いかも。シャノンさんといい勝負な気がします」

○紳士チーム
シャノン・ヴォルムス(キャプテン)、太助、クレイ・グランハム、柊敏史、本田流星、平賀源内、鴉くん(応援、威嚇担当)
○淑女チーム
SAYURI(キャプテン)、ファーマ・シスト、リゲイル・ジプリール、西村、常木梨奈、七瀬灯里、ペス殿(応援、威嚇担当)

「試合開始早々、クレイさんは浴衣姿の女性陣を間近で見て、さくっと撃沈しました」
「おっとお! 太助さん、ノーマン少尉に変身する作戦に出ましたよ」
「でもペスちゃんに威嚇され、対戦前に玉砕です」
「柊青年は、ファーマさんの繰り出す予測不能のほんわかスマッシュについていけず敗北」
「運動神経がいまいちな本田さんは、リガさんの俊敏な動きに翻弄されて終了」
「わりと接戦だった西村さんと源内さんは、鴉くんが味方チームのはずの源内さんに威嚇・突っつき攻撃をしたため、西村さんの圧勝」
「そして、凄まじいラリーが延々と続き、一同、息を呑んで見守ったシャノンさん&SAYURIさんのキャプテン同士の対決は……」
「引き分けです。お互いの健闘をたたえ合いつつ握手が交わされました」

 ★ ★ ★

「ところで柊青年、まだうさ耳状態ですけど、治るんでしょうかねあれ」
「あたしはあのままでも構いませんけどねー」

クリエイターコメントこんにちは、神無月まりばなです。大変お待たせいたしました。
この度は、ちょっと黒めな植村さんが企画したムービーハザード温泉ツアーにご参加くださいまして、まことにありがとうございます。皆さまのおかげで、無事に市長を発見することができました(うさ耳青年のままなのは気にしない)。
えと。勝手に少尉のところにリンクしているのは、どーしても温泉卓球大会をやりたかったからでございます。


★ファーマ・シストさま:源内も申しておりますが、いついかなる時もマイペースを崩さない研究者っぷりに激萌えです。『キオクガモドリマッスル∞』作成、お疲れ様でございました!

★リゲイル・ジブリールさま:解決したばかりの少尉殺人事件(未遂だっつーの)でのご活躍があまりにも楽しげだったので、濃ゆいリンクを張ってしまいました。お許しのほどを。

★シャノン・ヴォルムスさま:いつも格好よくて頼もしいシャノンさまですが、今回はまた格別で、的を射た推理と事態を鋭く見抜いての対処が、ソツがないというか完璧っつーか。抱きつき魔なのは私が許します。ご存分にどぞ。

★太助さま:殺パン事件(違)のお疲れも癒えぬうちに、SAYURIっち探索にご参加いただき、ありがとうございました。せっかくなので(?)少尉に変身していただいちゃったり。

★クレイ・ブランハムさま:初めまして。女性恐怖症の殿方をついつい可愛がって(?)しまう性癖を持っている記録者でございますのでご注意下さい(もう遅い)。これに懲りずに、またいらしてくださいねv

★西村さま:SAYURIの秘密に果敢に迫る西村さまと、とぼけようとするSAYURI。記録者も手に汗握りました。おぼろげに何かが見えてきたとしたら、西村さまのお手柄でございます。

それでは皆様、温泉からご帰還後も、さらなるご活躍を祈りつつ。
また銀幕市のどこかでお会いできる日を楽しみにしております。
公開日時2007-12-14(金) 19:00
感想メールはこちらから